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生成AIと教育の今

2025年11月1日

こんにちは、本多です。 このブログでは、プログラミングや教育のことについて書いていきます。

さて今回は、「生成AIと教育の今」について解説していきます。

生成AIの登場、そして誰でも使えるようになったことは、大きく世界を変えました。 この変化の波は、当然ながら教育現場にも押し寄せています。 今、教育は生成AIの登場によってどうなっているのか、そしてこれからどうなっていくのでしょうか。

事の発端

日本で生成AIと教育の関わりが注目されたのは、2年前の2023年4月のこと。1つのニュースがきっかけでした。 「全国の大学が学生の生成AI利用に対する方針を発表した」というニュースはネット上で瞬く間に話題となり、SNSなどで大きな議論を呼びました[1]。

実業家のひろゆき氏がこの動きに対し、X(当時はTwitter)で「時代に逆行してChatGPTを使わせないようにする教育機関。」と苦言を呈したことが、記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。

この議論の前提として、大学では「レポート」で成績を評価する方式が広く用いられています。これは基本的に、授業で取り扱ったことや本の内容、自分で考えたことなどを文章でまとめて提出することを指します。

このレポート作成において、生成AIを使ったことが発覚した場合は厳正な処分を下すというのがニュースの主旨であり、当時の多くの大学が打ち出した方針でもありました。

こうした様々な議論が巻き起こる中、1か月後の2023年5月、文部科学省が記者会見上で「生成AIの教育現場での利用方針等を定めるガイドライン」を策定するという旨を発表[2]。そしてその2か月後の2023年7月には、「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」が公示されます[3]。

暫定的とはいえ、話題になった4月からわずか3か月での公示となりました。これは相当早い対応であり、GIGAスクール構想が進んでいく中、文科省内でも最重要事項であるとの認識だったのでしょう。

この暫定的なガイドラインはバージョン1となり、1年半後の2024年12月にバージョン2へ改訂[4]され、現在に至ります。では、これらのガイドラインにはどのような内容が書かれているのでしょうか。 

本記事では、まずバージョンを通して変わらない、これらのガイドラインの方針や主旨を読み解き、次いでこの2つのバージョンの大きな違いを比較します。生成AIの議論が巻き起こった時期から生成AIが一般的となった今日まで、文科省の認識がどのように変化しているのか、そして現状の教育への活用はどのようになっているのかについて分析します。

ガイドラインの中身

まずこれらのガイドライン[3][4]が「マニュアル」や「手引」「提要」ではなく、「ガイドライン」という名称であることは大きな意味を持っています。つまりはあくまで国としての方向性を示したものに過ぎず、現状法的な拘束力を持たないということです。

生成AI活用の決定権や裁量権は各学校にあり、このガイドラインが何か特定の行為を禁止する訳ではない、という前提に立っています。 また、このガイドラインは機動的に改定が行われることが想定されており、学習指導要領のように大きなスパンの変化ではないことも明記されています。

また、学習活動で生成AIを使う際には学習指導要領に基づき、その教科の目的に生成AIの使用が合致しているかを検討することが求められます。言うまでもなくこれは生成AIに限ったことではなく全ての教材を使う際に言えることです。

その教科の目標を達成する上で生成AIが効果的に作用するのであれば、生成AIは使われるべきであり、そうでなければ使うべきではない、という当たり前の原則を示しています。重要なのは、生成AIの利用そのものが目的化してはならず、あくまで学習を助ける「道具」の一つであるという点です。

最後に、生成AIがデジタル端末を介して利用されることから、情報活用能力との関連が切り離せないことも明記されています。出力された情報の真偽を確かめるファクトチェックの必要性や生成AIの性質についての理解、情報モラルの育成などは活用する上での前提として挙げられています。特にこの話の発端である「生成AIに文章を生成してもらい、それをそのまま提出してしまう行為」については、一貫して不適切であるとされています。

以上のように、生成AIを使用する上での基本的な考え方として、①これが「ガイドライン」であること、②教科の目的に合致していること、③情報活用能力と関連していること、が挙げられています。これらの内容を前提とした上で、バージョン1から2への改訂でどのような変化が起こっているのでしょうか。

ガイドラインの変化

 そもそも、バージョン1が出たタイミングから現在までで身の回りの生成AIの状況は大きく変化しました。文章の生成が中心であった所から、画像や音楽、動画まで生成するようになり、Googleで検索しても生成AIによってその検索結果の概要が表示されます。これはバージョン1当時には想定されていませんでした。

徐々に生成AIは、意識的に「つかう」ものから自然に「ある」ものへと変化していっていることが分かります。特にこの感覚は子どもにとって顕著であると考えられます。バージョン2においては、学校外で子どもが生成AIに自然と触れていることや、社会生活に組み込まれつつあることが新たに記述されています。

バージョン1が出た当時は学校で生成AIを利用した先行研究が少なく、未だその効果や影響については未知数であり、一般的な利用を推奨するものではありませんでした。しかし、バージョン2にかけて、そこから一部の先進的な学校において知見が積み重ねられ、「教育活動の目的達成に効果的であるかを吟味した上で利活用すべきである」と、より踏み込んだ表現に変わりました。さらに、将来的には生徒が生成AIを日常的に使いこなす段階も視野に入れるべきだと明記されています。

また、バージョン2では先行研究に基づき、より具体的な生成AIの活用方法が示されています。アイディア出しに使ったり、教科内容の理解を助ける解説や画像の出力など、より柔軟な使用例が追加されています。

特に、バージョン1で不適切とされていたテスト等での活用は、生成AIを利活用することを前提としたテストを行うことが案として示されています。具体的かつ柔軟な利用方法を明示することで学校現場での利活用を促し、生徒の身近な「道具」にしようとしていることが分かります。

このように、文科省のガイドラインは社会情勢の変化に対応し、日進月歩で改訂が進んでいます。しかし、ガイドラインが示すような利活用に向けて、小中学校の現場の準備は進んでいるのでしょうか

生成AIの利活用状況

文科省は、バージョン2が公布される少し前、2024年10月ごろに全国の小中学校における生成AIの利活用状況を調査しています[5]。これは各自治体の教育委員会を対象に、主に教員へのAI活用に向けたサポート体制について調査したものです。

これによると、「国のガイドラインを参考に自治体独自の生成AI活用ガイドラインを作成している」と答えた教育委員会は、わずか6.6%。また、2025年3月までに生成AIに関する研修を実施した・実施する予定である教育委員会は20.7%に留まりました。この結果は、いまだ教員への理解が進んでおらず、サポート体制もいまだ整っていない実情を示しています。

また、この状況を裏付けるように、学生と教員に対する生成AI教育利用状況調査があります[6]。これによると、中学校教員481人への「あなたは生成AIを使用していますか?」という質問にNOと答えたのは70.7%。また、中学校教員141人への「あなたは生成AIを一週間のうち、どのくらい使用していますか?」に対して、週1回未満と答えたのは49.6%でした。

この結果は、昨年2024年度の結果に比べるとやや改善していますが、それでも思った以上に教員は日常的に生成AIを使用していません。日頃から教員自身が使っていない生成AIを授業で使うとは考えにくく、ガイドラインが目指す「生徒の身近な道具」になる以前に、いまだ教員の「道具」にすらなっていないことが分かります。

無批判に生成AIを使わせないために

前述したように、生成AIを使う際にはファクトチェックをすることが不可欠です。生成AIは「正しくないことをもっともらしく言ってしまうこと(ハルシネーション)」を避けることが、その構造上非常に困難です。よって、どんな簡単な質問に対しても常に間違っている可能性があります[7]。

また、ほぼ全ての生成AIはそのデータ元や開発の関係上、意見が左派(リベラル)に偏っているとの研究結果が出ています[8]。私たちが思っている以上に生成AIは正しくもなければ中立でもないのです。このような生成AIを子どもが無批判に使うことを防ぎつつ教育を進めていくことは、これからの教育者にとって重要であると言えます。

しかし、生成AIがいかに不完全であるかを本当に理解するには、実際に使ってみるしかありません。「使う」とは、趣味として触れる「おもちゃ」ではなく、教育を脅かす「敵」でもなく、仕事の「道具」として生成AIと一緒に何時間何日も仕事をしてみるということです。

正しさや中立が求められる場において、生成AIを活用すると何が起こるのか。これを教育で活用していく私たち自身が、身をもってその限界と可能性を十分に経験する必要があるのではないでしょうか。

終わりに

この記事は以上となります。今回は「生成AIと教育の今」について解説しました。

 さて、最後に解説した「無批判に生成AIを使わせない」という視点は、個々の生成AI出力に対しての言葉でした。しかしそれだけではなく、より大きな視点、すなわち教育という場全体に対して無批判に生成AIを導入すること自体にも目を向けるべきかもしれません。

前述した通り文科省は、「教育活動の目的達成に効果的であるかを吟味した上で」という前置きがありつつも、基本的にはAIを教育で利活用すべきであるとの姿勢となっており、それは2030年の新学習指導要領においても継続される見通しです。

しかし、こうした日本の前のめりな姿勢とは対照的に、UNESCO(国連教育科学文化機関)は、2025年9月に「AI and the Future of Education: Disruptions, dilemmas and directions(AIと教育の未来:崩壊、ジレンマ、そして方向性)」という論考を出し、生成AIを教育の場に持ち込むことに対して今一度疑問を呈しています[9]。

これは「生成AIの全面否定」ではなく「無批判な生成AI使用の否定」であり、まさに現場の準備が整わないまま生成AIが教育の場に流れ込もうとしている、日本の教育現場にも通じる指摘だと感じます。

さて次回は、「AIで教育は崩壊し変革する」と題して、UNESCOの記事の詳細や、生成AIとプログラミング教育の関わりについて解説していきます。 ここまでお読みいただきありがとうございました。

(文責 本多)


引用文献

[1] Ledge.ai編集部 (2023)「ChatGPTで揺れる教育、アカデミアはどう動くか」. https://ledge.ai/articles/generative-ai-academia-response

[2] reseed編集部 (2023)「生成AIの活用・禁止をまとめたガイドライン、文科省が検討」. https://reseed.resemom.jp/article/2023/05/10/6301.html

[3] 文部科学省 (2023)「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」. https://www.mext.go.jp/content/20230718-mtx_syoto02-000031167_011.pdf

[4] 文部科学省 (2024)「初等中等教育段階における生成 AI の利活用に関するガイドライン」. https://www.mext.go.jp/content/20241226-mxt_shuukyo02-000030823_001.pdf

[5] 文部科学省 (2025)「令和6年度 次世代の学校・教育現場を見据えた先端技術・教育データの利活用推進 第Ⅱ部 学校教育における生成AIの利活用推進に向けた調査研究」. https://www.mext.go.jp/content/2025414-mxt_shuukyo01_000033776_03.pdf

[6] 仙台大学 AI教育・研究チーム (2025)「学生と教員を対象とした生成AIの教育利用状況と意識に関する全国調査2024年-2025年比較調査」.https://www.sendaidaigaku.jp/dnt2/_sendaidaigaku/access/nic_img/1/files/2025_AI-report.pdf

[7] OpenAI (2025)「言語モデルでハルシネーションがおきる理由」. https://openai.com/ja-JP/index/why-language-models-hallucinate/

[8] Sean J. Westwood、Justin Grimmer、Andrew B. Hall (2025) 「Measuring Perceived Slant in Large Language Models Through User Evaluations」.https://modelslant.com/paper.pdf

[9] UNESCO (2025) 「AI and the Future of Education: Disruptions, dilemmas and directions」. https://www.unesco.org/en/articles/ai-and-future-education-disruptions-dilemmas-and-directions