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「大人になったら使わない」教育は何故あるのか

2026年4月1日

はじめに

九九・ごんぎつね・リコーダー。学校の先生は色んなことを教えてくれました。

しかし時には、こんなことを思いませんでしたか?

こんなことを学んでも、大人になったら使わないじゃないか。

確かにこれは正しいです。

大人になってもリコーダーを吹いている人は、ほとんどいませんし、九九なんて電卓やエクセルでできます。

それなのに、なぜ貴重な子どもの時間をそこに費やすのでしょうか。

そこには1個の授業から憲法まで、一貫した理由と根拠があるのです。

今回は、それらを1つ1つ紐解いていきましょう。

教育が決定される経緯

さて、先生が授業で教えるといったとき、その多くは教科書に基づいています。

次にその教科書は、学習指導要領というものを根拠として制作されています。

そして学習指導要領は、教育基本法を基に制作されています。

最後に教育基本法は、日本国憲法を根拠に作られました。

つまり、授業→教科書→学習指導要領→教育基本法→日本国憲法という風に地続きで繋がっているのです。

これらそれぞれ、その責任者や決めていることが異なります。

一旦、表にまとめておきましょう。

(より細かく言えば、この中に学校教育法などが入りますが、ここでは省略しています。)


日本国憲法

まず全ての始まりとなる日本国憲法には、義務教育における重要な記述として第二十六条があります。

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

日本国憲法には、教育を受ける権利、そして子女に普通教育を受けさせる義務が明記されていることが分かります。

なお普通教育とは、一般に小中学校での教育を指します。

要するに日本の子供は小中学校の教育を受ける、ということです。


教育基本法

次に教育基本法を見てみましょう。教育基本法は、教育全体の目的を示すものであるため、先ほどの5つの中でも特に重要なものであると言えます。

教育基本法の最初、第一条には、まさに教育の目的が明記されています。

第一条 教育は、(_______)を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

では、カッコ内には何が入るでしょう?

正解は、、、

人格の完成)を目指す、です。

よって改めて第一条は以下のようになります。

第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


人格の完成

人格という言葉は一般に、性格と似た意味で用いられることもありますが、本来の意味は大きく異なります。

人格とは、各個人の備えるあらゆる能力を指します。自立した人間となるには、無数の能力が必要です。

それは知識や技能だけでなく、思考力や人間性など、多岐に渡ります。それを「完成」させることが教育の目指すところであると、第一条では明記されているわけです。

人格の完成というと大げさに聞こえますが、分かりやすく言えば、各々が自由に人生を選択するための能力であるといえます。

さて、冒頭のクエスチョンに戻りましょう。

「こんなことを学んでも、大人になったら使わないじゃないか。」という質問には明確なアンサーがあります。

「教育は人格の完成を目指しており、大人になって使うかどうかという、ごく1部分のみを目指していない。」ということです。

では、人格の完成を目指すにあたって、どういった教育が行われるのか。

それが、憲法で明記されている「普通教育」であるわけです。


普通教育

教育基本法の第五条には、普通教育が以下のように説明されています。

義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。

ここで重要なのは、普通教育は生きる基礎を培い、基本的な資質を養うのであって、特定の社会の歯車を作る場ではないということです。

憲法でひとしく教育を受ける権利を有することが保証されている以上、特定の能力だけを育てる、といったことはしません。

例えば、「お前は農家の勉強だけしろ。」というような専門教育のみを強制的に受けさせ、子どもの学問の自由(そして事実上の職業選択の自由)を害するようなことは許されないのです。

逆に言えば、九九・ごんぎつね・リコーダーなどが行われている=この普通教育の一部であるということであり、人格の完成を目指す上での1パーツであったということです。

ここまでの内容をまとめると、

①日本国憲法では、子女に普通教育を受けさせることが義務付けられている(義務教育)。

②教育基本法では、教育の目的は人格の完成である。

③教育基本法では、人格の完成の手段として普通教育を行っている。

ということが言えます。


学習指導要領

そして、その普通教育の内容を教科ごとや学年ごとに示したのが、学習指導要領[1]となります。

最新の学習指導要領の前文には、以下のような記述があります。

(前略)

必要な教育の在り方を具体化するのが,各学校において教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てた教育課程である。

教育課程を通して,これからの時代に求められる教育を実現していくためには,(中略)社会に開かれた教育課程の実現が重要となる。

学習指導要領とは,こうした理念の実現に向けて必要となる教育課程の基準を大綱的に定めるものである。

(後略)

なお教育課程とは、上記の通り、教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てたものを指します。

さて、普通教育が憲法に示されている以上、その内容はある程度日本全国で画一的に行われる必要があります。その基準として作られたのが、学習指導要領ということです。

実際、どのような基準が書かれているのでしょうか。

以下は九九を習う、小学校第2学年の算数の一部です。

(3) 乗法に関わる数学的活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。

ア 次のような知識及び技能を身に付けること。

(ア) 乗法の意味について理解し,それが用いられる場合について知ること。

(イ) 乗法が用いられる場面を式に表したり,式を読み取ったりすること。

(ウ) 乗法に関して成り立つ簡単な性質について理解すること。

(エ) 乗法九九について知り,1位数と1位数との乗法の計算が確実にできること。

(オ) 簡単な場合について,2位数と1位数との乗法の計算の仕方を知ること。

このように、第2学年の算数の時間で九九を学ぶことが明記されています。

また、この乗法や九九は何のために学ぶのでしょうか。

学習指導要領解説には、以下のように書かれています。

乗法は,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現とも捉えることができる。

乗法九九は,以後の学年で取り扱う乗法や除法の計算の基盤となるものとして必要なものである。

このように学習指導要領や解説には、特定の内容をいつ学ぶか・どの教科で学ぶか・なぜ学ぶかなどが明記されていることが分かりました。

ここから個別に学ぶ理由について見ていくこともできますが、それら全てに共通する学ぶ理由とは何なのでしょうか。

当然、究極的には「人格の完成」になるわけですが、これをより具体化し、現実に即した形にした「教育課程を編成する上での基本原理」というものが存在します。


教育課程編成の基本原理

教育課程編成の基本原理とはすなわち、何を意図して教育の内容を決定するか、それそのものです。

これは当然様々な思想が存在しており、語り出したらキリがありませんが、おおざっぱに3つの原理が存在していることが知られています。それが以下の3つです。

①文化遺産の継承・発展

②社会現実への対応

③子どもの求めの実現

①文化遺産の継承・発展

文化遺産と聞くと難しそうですが、そもそも普通教育で学ぶ内容の多くは、先人たちの積み上げてきた文化遺産です。

長い歴史の中で、様々な学問は発展を続けてきました。

それらを教育課程という分かりやすく整理された形で継承し発展を促すことは、国家や人類が存続・発展していく上で必要であると言えます。

また、芸術や伝統文化なども遺産にあたるでしょう。普通教育としてそういった文化を継承していくことは、国家の形成者として重要なことであると言えます。

②社会現実への対応

子どもたちは、未来の社会の担い手です。自立し社会の中で生きていく上では、既存の社会に適応し社会を変革する力が必要です。

現実問題として最終的には社会に入っていく以上、文化遺産の継承・発展のみを行い、社会を無視し続けることはできません。

よって教育課程には、生活や道徳など現実社会で生きるために必要な内容も含まれ、社会が変化するに従って教育も変化していきます。

③子どもの求めの実現

上記2つの内容は、いわば国家や社会が存続する上で必要なことであり、子どもにとっては受動的なことであると言えるでしょう。

ただ子どもが学習の主体である以上、子どもの求めから学びを構成することは、子どもの学習への意欲につながります。

よって、子どもが知りたい・学びたいと思う内容を行っていくことも必要です。それを通して自立的に学びを進められるようにしていくこと自体が、人格の完成に繋がっていくからです。

ただ教育課程が事前に存在しそれを淡々とこなしていくのではなく、そこにいる子どもの欲求に応じて教育課程を柔軟に変更していくことが、また同時に必要なのです。

その為に、子どもの求めの実現を目指し、教育内容を構成していく必要もあります。

そして、これら3つの内容は互いに共存します。3つが同時に達成された上で、「人格の完成」を目指す。そういった緻密なバランスの上で、学習指導要領は作られているのです。

そしてその学習指導要領が1時間ごとの授業という形で、より具体化されたのが教科書であるわけです。


教科書と授業

教科書は、学習指導要領に沿って作成されます。

また、学習指導要領を作成した文部科学省による検定を受けることで検定教科書となり、公的な学校での使用が認められます。

教科にもよりますが、教科書は1時間当たりの授業内容がある程度想定されて作られており、その内容を記述した年間指導計画作成資料[2]なども存在しています。

教員はそれを参考にしつつも、学校や児童生徒の実態に合わせ、1時間ごとの授業内容を具体的に作成し授業を行っていくわけです。

以上より、憲法から授業までが明確に繋がって、教育が構成されていることが分かりました。


プログラミング教育と人格

ここまで書いた通り、普通教育で学ぶことは、全て人格の完成と関わっています

逆に言えば、人格の完成と関わらない限り、義務教育に取り入れられることはないといえるでしょう。そしてこの人格に含まれる要素は、時代の変化に合わせブラッシュアップされていきます。

例えばプログラミング教育は、2020年から義務教育において必修化=必ず学ぶものとなりました。

これには情報化によって基本原理における社会現実への対応が必要となったこともありますが、義務教育に採択されたということは、プログラミング教育が単なる一時的な流行りなどではなく、人格の完成に関わるものであるという決定が下されたことに他なりません。

プログラミング教育が担う、人格の完成の1パーツは「プログラミング的思考」です。

プログラミング的思考とは簡単に言えば、問題を分割し、論理的に思考し、粘り強く解決しようとする力のことです。

現代における人格の完成において、私も必要不可欠なものであると日々感じています。

そしてもちろん、冒頭に述べた九九・ごんぎつね・リコーダーにも、実は人格の完成に関わる目標があるのです。

改めて、一体それが何なのか。お子様が勉強する様子を見ながら、考えてみてはいかがでしょうか。

終わりに

どうしても「何を知っているか・何ができるか」を、人は重要視してしまいがちです。

しかし、自分の人生を歩む上で大切なのは、それだけではないはずです。普通教育に含まれている内容は、いわばその土台であると言えます。

テラボは、ただのスキルアップ教室ではありません。算数や英語、そしてプログラミングという学習の先に、お子様の『人格の完成』を見据えています。

一つひとつの学びを、お子様が自分の人生を自由に切り拓くための強力なピースとする。テラボはそのルールを大事に、日々の授業に向き合っています。

(文責 本多廉)

引用文献

[1]文部科学省(2017)「小学校学習指導要領(平成 29 年告示)」

[2]東京書籍(2024)「「新編 新しい算数」年間指導計画作成資料細案【2年】令和6年(2024 年)7月版」

参考文献

奈須正裕,坂野慎二 編著(2019)「[新訂版]教育課程編成論」玉川大学出版部