はじめに
前回の記事では、全ての教育が人格の完成を目指して行われていることを説明しました。
ただ、こんな疑問はありませんか?
「何か特定の教科を学ぶことが、本当に人格の完成につながるのだろうか。」
確かに変な話です。「ごんぎつね」を学ぶということは、「ごんぎつね」を知ったり感じたりすることであり、それと人格の完成や賢さは関係ないように感じます。
ただ何となく共通認識として、難しいことを学ぶと賢くなりそう。という固定観念はありませんか?
腕の筋肉を鍛えても、足の筋肉は勝手に増えません。なのに教育や経験には当然そのような力があると、何となく思ってしまいます。
このように、特定の内容を学んだ際、その学びが他の内容でも活かされることを「学習が転移する」と言います。
転移の歴史
何かを学ぶとそれが転移し、人は全体的に賢くなるということは昔から信じられていました。これは「形式陶冶」という考え方が一定の支持を受けていたことから分かります。
形式陶冶とは、知識や技能そのものではなく、記憶力や判断力などの人間的な能力の育成を重視する考え方のことです。
ギリシャの哲学者プラトンは、これを支持していました。プラトンは哲学や言語、古典などを学び、形式的な能力が磨かれることで「頭が良くなる」と説きました。ただしこれは、今回の話のメインである「転移」が無制限に起こるという前提の下で成り立つ話であると言えます。
哲学を学ぶことで記憶力や判断力が身に付くのかということと、ごんぎつねを学ぶことで人格の完成につながるのかは、同じ問題であると言えるでしょう。
転移が無制限に起こりうるか、ということは1901年に科学的に否定されます。ソーンダイク(Thorndike, E. L.)とウッドワース(Woodworth, R. S.)は、転移が無制限に起きるものではなく、学習したものと転移するものの両方に共通する「同一要素」があるときに転移が起こることを実験によって証明しました。
これにより、無制限の転移は否定されたものの、一定の条件下では転移が起こるということが分かりました。
その後様々な研究者によって、この転移に関する議論は進んでいくことになります。
ただこの歴史を話していくと、いくら時間があっても足りません。よってこの記事では現代にも通じる、標準的な転移に対する考え方について紹介したいと思います。
色んな転移
さてくり返しになりますが、学んだ内容を活用し他の内容で活用できる状態。これを「転移」と呼びます。これは実際に皆さんの日常生活の中でも常日頃起こっていることです。
以下に、転移の例を3つほど挙げてみましょう。
①車の運転を普段からしているので、やや大きなトラックの運転にもすぐに慣れた。
②小さいころ、学校の先生に「計画を立てて勉強しなさい」と言われ、計画を立てた。計画を立てることで各教科の勉強時間が分かり、それぞれに時間を割り当てることの重要性を理解した。大人になった今も、それぞれのタスクにどの程度重みを持たせるかを最初に考えるようにしている。
③生物の授業で粘菌の特性について学んだ。今、物流の仕事で最適経路を考える必要がある際、粘菌が最適経路を見つける方法を思い出し、それをアルゴリズムとして再現することで解決した。
これらは全て過去に学んだことを他の内容に活用していますが、その状況はやや異なります。
ここではSalomon, G., & Perkins, D. N.(1989)が提唱した転移の分類を紹介します。
転移の分類
[低路転移]
①の例は、車の運転というくり返しの行為による、慣れによって引き起こされる転移です。
この転移はある程度自動化されるため、近い動きに対して転移を引き起こすものの、遠い概念などには応用することはできません。
低路転移が行われるのに必要な条件はシンプルです。それは十分な演習にあります。近い概念として身体記憶、手続き記憶などもありますが、いわゆる体が覚えているといった状態になるには、それ相応の演習量が必要です。また単一の演習ではなく、様々なパターンでの演習が必要です。そうすることで、近い問題に対し素早く反応をすることができるようになります。
[前方到達的な高路転移]
②の例は、小さいころに「計画を立てて勉強する」という行為を「リソースの割り当て」という本質として理解が行われました。そのおかげで、未来の違った文脈に適応できた例です。過去の段階で抽象化が行われる(前方到達的である)必要があるものの、低路転移のようにくり返し行われる必要はありません。
前方到達的な高路転移が行われるには、低路転移のように演習量は必要ありませんが、ものごとを学習する際に工夫が必要となります。それは何かを学習した際に同時に抽象化が行われる必要があるからです。
学習した内容を抽象化させるには、2種類の方法があります。
1つは、最初から抽象化させた上で内容を教えること。
もう1つは、生徒が内容を抽象化するように仕向けることです。
どちらにしても、生徒が勝手に内容を抽象化することは稀であるという前提に基づいています。それができる生徒は、後述しますが「転移への期待」を学習している可能性が高いです。
[後方到達的な高路転移]
③の例は、前述の高路転移と異なり過去の段階で抽象化が行われていません。現在の課題に直面した際、過去の具体的な経験から能動的に原理を抽象化し(後方到達的)、現在の文脈に当てはめています。これは過去の段階で抽象化が行われる必要はありませんが、その具体的な文脈が記憶されている必要があります。
後方到達的な高路転移が行われるには、逆説的ではありますが、後方到達的な高路転移の演習を行うことが有効であるとされています。後方到達的な高路転移が実際に行われるとき、それらは基本的に教育の外で自発的に行われることが多く、その自発性を高めることがこの転移には有効であるからです。以下2つの活動が有効です。
1つは、目の前の問題を抽象化してみること。
もう1つは、過去学んだことを探索してみることです。
この2つを肯定的な経験として行っていくことで、転移への自発性が高まるとされています。
転移への期待とは
ここでの転移への自発性は、転移において重要です。
学習段階において、内容を抽象化して教え、それが活用されることを確認したり、目の前の問題を抽象化し、過去学んだことが使えないかを探るなどの活動を経ることで、学習者は、「学んだことを活用できた」「抽象化したことで問題が解決した」という経験をします。これにより、新しい事を学ぶ際や問題に直面した際にも、「これを抽象化すると、どういうことか」「過去に学んだことは活用できないか」など、自発的に抽象化や転移を行おうとします。これを「転移への期待(Expectation for transfer)」と呼びます。
この転移への期待を育て、思慮深い抽象化(Mindful Abstraction)を行うようにしていくことが、生徒自らが学びを丸暗記で終わらせない姿勢を育む方法であると言えるでしょう。
教科の学びは人格の完成に繋がるのか
冒頭にあった、ごんぎつねが人格の完成に繋がるのかどうか。
この答えはまさに高路転移にあると言えます。学びを抽象化させ、人格の完成へと繋げていく学習、または転移への期待を育む学習がごんぎつねなどを通して行われる。各教科の学びと共にそれを目指すことが各教科の目標であると言えるでしょう。
AIと転移
最後に、今日AIが活用される中で高路転移の概念はどのような意味を持つのでしょうか。
AIはおおよそ高等教育までのほぼ全ての正しい答えを出すことが可能です。これは、いわば具体的な活動はAIによって代替することが可能であると言えるでしょう。
「こんな問題なんて、どうせAIに聞けば答えを教えてくれる。」
「プログラミングなんて、AIが全部作ってくれる。」
その通りです。では、その上で教育が考えなければいけないのは、AIの活動を子どもの人格の完成や知的能力の向上にどのように「高路転移」させていくのかです。
今まで人間は高路転移を行う際、まず具体的な活動を行い、そこから抽象化を行ったり、未来での具体的な問題にあたった際に抽象化を行ったりしていました。
ただ、この具体的な活動を省略出来るポテンシャルをAIは秘めてるといえます。
具体的な問題や活動をAIに行わせ、その結果を抽象化し、学びを得る。いわば「半後方到達的な高路転移」や「逆抽象化」と言えるような学習が考えられています。
転移の難しさ
これには前述した通り、「転移への期待」が必要不可欠です。
実際、AIに具体的な問題を行わせその結果を見るだけでは、生徒の学びに繋がらないことは多くの研究結果が証明しています。学びに繋げるためにはその出力に対してAIに解説や説明を求めるといった、思慮深い抽象化を能動的に行う必要があるようです。
AIを活用し、高いレベルの問題解決を行う人材を育成するためには、そういった具体的な事実から自ら抽象化を行おうとする姿勢を育む必要があります。
これが難しいのはお分かりになるでしょう。我々大人ですら、ややもすると情報を受け取るだけで満足してしまいがちです。
情報を受け取っても転移が行われなければ、歴史の年号だけを覚えるのと同じく、不活性な知識となってしまうでしょう。
それを防ぐためには、外部の情報を意識的に抽象化し、自身の血肉と変えていく練習が必要です。
あなたも、転移の練習をこのブログ記事から始めてみませんか。この記事の学びを基に、明日からの活動に繋がる抽象化を行ってみてください。
あなたは果たして、学びを通して「転移を期待」できているでしょうか。
[引用文献]
Thorndike, E. L., & Woodworth, R. S. (1901)「The Influence of Improvement in One Mental Function upon the Efficiency of Other Functions」 Psychological Review, 8, 247-261.
Salomon, G., & Perkins, D. N. (1989)「 Rocky roads to transfer: Rethinking mechanisms of a neglected phenomenon.」 Educational Psychologist, 24(2), 113–142.